オリンピックで負けて謝る日本人は変?

公開日:  最終更新日:2017/01/31

オリンピックに限らず、日本人アスリートって
戦いに負けると、とりあえずインタビューで謝ってますよね。
当たり前すぎて、特に疑問も抱いてなかったのですが、
為末大さんが日刊スポーツのコラムで次のようなことを
書いてて、はっとしました。


成績が悪かった時のアメリカ選手が、自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。

日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。

選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、と私は考えている。1つは、五輪という舞台で選手が一体どう感じたのかという、その瞬間にその人しか語れない言葉にふたをしてしまう可能性があるということだ。勝ち負けを超えて、世界の頂点の舞台で感じたことや、やろうとしたことを聞けるのは、社会にとって大きな学びになるはずだ。

もう1つは、この国から挑戦心がなくなってしまうことだ。彼らは長い間トレーニングをしてきて、挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちだ。
その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、最後の結果だけで批判をする。そうなれば子供たちも社会も、挑戦をすること自体をやめていく。

この2つの論点、完全に同意します。

【努力してだめなら謝らなくて良い】

オリンピックに出るような選手って、死ぬほど努力してるじゃないですか。
内村航平選手にしても福原愛選手にしても、とんでもない量の練習をして
いろんなものを乗り越えてきているのは、メディアからも伝わってきます。
ある種、人間の限界に挑戦するような、芸術の域に達しているような世界だと思います。
そこら辺のサラリーマンとかとは、歩いてきた道の重さが違うんです。

このような、極限とまで言えるようなところに達した人の言葉って
きっと我々のような一般人にも響くところがあるし
学ぶべきこともたくさんあるはずです。
我々は、一人の応援者、そして人間として彼らに謝罪を要求するのではなく
その高みからの言葉を期待すべきなのです。

日本人はとにかく争いをさけるために
とりあえず謝っとけみたいな風潮はあると思います。
一方アメリカでは、交通事故があると
血だらけになりながら「俺は悪くない!」と延々と口論するとも言われます。
アメリカほど自己主張はしなく良いとは思うけど
少なくとも、自分が頑張ってきたことは謝らくても良いですよね。

【切腹するなら前に進め】

そして、スポーツにかぎらず、あらゆる場面で大小問わず
様々な挑戦があるはず。あまりに我々日本人は失敗に対して
ナーバスすぎないでしょうか。名誉を守るための切腹という文化も
確かに美しいとは思うけれど、人間の進歩なんて失敗の積み重ねじゃないですか。
トーマス・エジソンだって「私は失敗したことがない。ただ一万通りのうまくいかない
方法を見つけただけだ」と言っています。
失敗は成功のためのプロセスの一部くらいと考えて
どんどん前に進みましょう。
失敗したら周りから馬鹿にされるみたいな
プライドもゴミでしかないです。
誰も人の事なんて結局気にしてません。



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