外国人というだけでたいていの言動を許せるのはなぜなのか

公開日:  最終更新日:2018/05/15

こんにちは、るきまです。

この前のプーケット旅行で思ったことなんやけど、ロシア人・アメリカ人・中国人とかっていうだけで、まあある程度の行動であったり言葉であったり態度であったりっていうのを許せてしまうのはなぜなんだろうと。

海外

同じ日本人に対しては暗黙の了解や一定のレベルの言動であったり、最低限このルールは絶対に守るよねとか勝手に相手に期待してしまっている自分がいるぞと。

これはなんでなんだろう考えた時に、外国の人ってやっぱり自分とは全然違う環境で育ってきたり、全然違う考え方・価値観を持っているっていうのが当たり前だと思い込んでいる。

だから自分が思いつかないような言動があった時に、でもまあ違う国の人だからこれは別に向こうで当たり前なのかもしれないし、別にそれに対してムカついたりであるとかあまり強いフラストレーションというのは持たないだろうな

 

”だがちょっとまってほしい”、日本人だからといって同じ価値観ていうのを持ってるとは全く限らない。

日本の中でも全然違う環境で育ってきた人々が社会に出てくる。

だからその人たちの価値観や考え方は、同じ日本であっても全然違うっていうのが本来。

でもそこで「同じ日本人だから」っていうことで、横並びと言うか、お互いがお互いを監視するような感じになってしまっているのでは。

同調圧力とかってよく言われてるけど、自分を含めてこういう意識をけっこうな人が持ってしまっている。

これが生きづらさとなり、自分も色々と苦しんでる。

自分も他人に対して「常識」や一定の言動を他人に期待してしまっていて、それで他人が自分の考えつかないような行動をすると変な目で見たりしてしまっている・・・

 

東洋経済にちょっと気になる記事があって。

英語ではよく「アナザープラネット」という表現をします。ドイツ語でも「Sie lebt in ihrer eigenen Welt」(彼女は自分だけの世界に入り込んでいる)という表現をします。

「あの人は、別の惑星に住んでいる」という意味で使うのですが、必ずしも相手を軽視する表現ではなく、「あの人と自分は考え方が違う」という意味合いでも使う言葉です。

デキる人は「他人は別の惑星の人だ」と考える

「別の惑星」と言ってるけどこれはまさに自分が「外国人だから」と言ってるのと似たような感覚なんだろうなと。

ドイツ人とかアメリカ人とかは、アナザープラネットという言葉があるぐらいだから、同じ国の人に対しても「自分は自分、他人は他人」っていうふうに見れてるんだろうなと。

もちろん犯罪はしないとか、最低限のマナーっていうのは守らないといけない。

ただ中には変なしきたりや、古い価値観っていうのもあってそこは変えていかないといけないけど。

あくまでも「自分は自分、他人は他人」というふうに考える。

人から期待されることではなくて、本当に自分がしたいことであるとか自分が考えてる事っていうのに忠実になる方が心が楽。

もちろん日本ではそれに色々言ってくる人っていうのはいるのかもしれないけれども。

自分の価値観をSNS とかで表現していくことで共感してくれる人もいるし、そういった仲間をどんどん増やしていくっていうのもたぶんええことでしょ。

 

 

今日はGoogleドキュメントで音声入力してから手直しをしていったが、普通に書くときと別人のような口調に・・・



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