芸術とはなんのために存在するのか岡本太郎から学んでみた
「芸術は爆発だ」
んーよくわからん。
「美術館に行っても、いまいち楽しみ方がわからない」
「この絵の意味がよくわかんない」
まあぼくはこんな感じの人間です。
川崎市の観光案内のパンフレットみたいなやつでたまたま目についたのが、「岡本太郎美術館」
そういえば昔、東京のどっかで岡本太郎の作品を見て「こりゃ一体なんなんだ!?」ってなったなと。
なんか惹かれるところがあって、すぐさま生田緑地の方に向かってみました。
で、今回も圧倒されたり、驚かされたり、でも意味わかんなかい感じ。
展示の中で、岡本太郎の書籍がいろいろ紹介されてて。
物書きとしての岡本太郎って全然知りませんでした・・・
そこで知ったのが、普通の人に芸術を広めたいというような情熱
美術館を出たあと、さっそくKindleに岡本太郎の本を追加。
これがすごいおもしろい。
絵と同じく、自分に正面から挑みかかってくるような感じ。
芸術とはなんなのか、なんのためにあるのかというのがちょっとわかった気がします。
気になったことば。
失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。
絵はクイズのように、隠された答えをあてるために見るのではありません。白紙でどんどんぶつかっていき、それによって古いおのれを脱皮し、精神を高めていくべきです。
芸術の力によって、この不明朗さを、内から切りくずしてゆかなければなりません。芸術は、いわば自由の実験室です。実社会で、いきなり貫きとおすということは、いろいろな障害や拘束があって容易なことではありません。しかし芸術の世界では、自由は、おのれの決意しだいで、今すぐ、だれにはばかるところもなく、なにものにも拘束されずに発揮できるのです。
読んでみて、芸術がなんのためにあるのかというのは、こうまとめてみました。
芸術というのは、自分が持ってしまっている固定観念を認識し、そこから脱しても良いのだという感覚を持つためにあるのかもと。
なんとなく、いまはやりのマインドフルネスのようなかんじもするし、でもそれだけじゃなくてその現状を突き抜けていくエネルギーが芸術なのでは。
おや、「芸術は爆発だ」とはこういうことなのか。
そういうえば、これって以前紹介した「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」に通じるなと。
古いものをどんどんやぶっていくという営み、これは生きるというそのものと言えるし、芸術とは生きることか。
この「今日の芸術」の中で、岡本太郎はぼくたち普通の人間もどんどん絵をかくべきと主張してます。
どういう心構えで描けばいいのか、どういうふうに描けばよいのかということも書かれてます。
これを読むと、いますぐ絵を書いてみたくなること間違いなし。
そうすると、新しい自分が見つかりそう。